近藤勇の墓

龍源寺にある近藤勇の墓です。
右から二番目が近藤勇の墓になります。

同じく近藤勇の銅像です。

近藤勇辞世と書いてあります。

●看板の写真へ…

 上の写真のほかにお墓の横にあった看板もあるのですが、文字を読めるようにしたらかなり重くなってしまったので、分けてあります。戻るときはブラウザの戻るボタンで戻ってください。いちおう以下のようなことが書いてあります。

東京都指定文化財

近藤勇の墓

種別:旧跡
指定年月日:昭和11年
所在地:三鷹市大沢6-3-11

 天保5年(1834)武州多摩郡上石原村の宮川久次郎の三男として生まれ、15歳で天然理心流近藤周助に入門、近藤家の養子となって28歳で天然理心流四代目を襲名した。
 文久2年(1862)土方歳三らと京都に上り、慶応3年(1867)大政奉還までの4年間、新選組として活躍した。
 京都、鳥羽伏見の戦いで敗れた後、甲陽鎮撫体(←「隊」が「体」に書きかえられてます…)を組織し山梨県勝沼で官軍を迎え撃つが、大敗して千葉県流山で投降する。
 慶応4年(明治元年)4月25日、板橋宿で処刑された。享年35歳。
法名は貫天院殿純義誠忠大居士。

 平成5年(1993)10月31日

 

 近藤勇の墓は、三鷹市の龍源寺(三鷹市大沢6-13-11)にあります。ここには近藤勇の甥で隊士だった宮川信吉のお墓もあるのですが、見に行った当時そのことを知らず、そのまま帰ってきてしまいました。無知のなせる技です(泣)。とても微妙な位置なのですが、この龍源寺から数百メートルしか離れていない所にある生家跡は調布市になります。こちらも見に行ったのですが、写真は私がデジカメを忘れておじいちゃんに普通のカメラで撮ってもらったため、撮ってもらいそびれてしまいました(泣)。ちなみに私の祖父母宅は調布にあるのでここには車で連れていってもらっちゃいました。生家跡の周りには近藤という苗字が多かったのですが、近藤勇自身は養子に行く前の旧姓が宮川なので、生家跡に住んでらっしゃるのは宮川さんらしいです。ここには近藤勇が産湯に使ったという井戸が残っています。生家跡の向かいには撥雲館という道場も残っています。(たしか)生家跡の前に立っていた看板によると、昔は今の調布飛行場まで、宮川家の土地だったらしいです。富農ということは知っていましたがそういわれると、その広さがよく実感できました。土地は太平洋戦争のとき接収されたのだそうです。当時は今ほど新選組とか近藤勇というものが世間に知られていなかったため、古い建物もそのままでは残せなかったとか(これは別の場所で聞いた気がします)。それにしても小さい頃からよく見に行っていた調布の飛行場が…!というのは私にとっては大きな驚きでした。


訪問日:2003年8月

文責:望海

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