神戸異人館街

 実はこの日、本当は「神戸市立博物館の大英博物館の秘宝展」を見に行く予定だったのです。ですが日曜日ということもあって、ものずごい行列。最後尾から中に入るまで一時間半待ちということでした。それから一緒にいた親父と相談して、これからは春休みにも入るしまた平日に来よう、という結論に至ったのです。

 それからそのまま帰るのも何だなぁということで、僕は前から行ってみたかった異人館に行こうと親父に提案しました。そして雪が降る寒い中、長い坂道を歩いて異人館へ…。もう冗談ではないほど寒かったです。そのときは傘を持っておらず、コートのフードだけを防寒具としてかぶり、歩いて行きました。普段雪なんてあまり降らないというのに何故こういう日に限ってぼたぼたと雪が落ちてくるんだ、とお天道様を呪いました(笑)



英国館 (旧フデセック邸・明治40年築)神戸指定No.10伝統保存建造物

 ずいぶんと長く感じられた坂道を登り、雪に降られながらやっと、「英国館(イングランド館)」まで辿り着きました。左の写真は庭の中央から撮った英国館です。全体が写らなかったのは残念でしたがまぁこんな雰囲気です。

 実は入口はこことは違って別にあるのですが、入口は狭かったため写真が非常に撮りにくかったのです。入口から中に一歩踏み入ると、もうそこは異国の情緒。ここが日本だということを忘れ去ります。入るとまず短い廊下が真っ直ぐに伸びていて、そのまま奥は裏口になっていてそこから庭に出ることができます。入口を入ってすぐ右手側に部屋があり、大きな鹿の首の剥製がかけてあったり、椅子や机、暖炉などがありました。アンティークのお皿のセットなどが飾ってあり、こういうのを見ると本当に明治時代の外国人の生活をかいま見たような気がしてきました。その部屋は奥の部屋に繋がっていて、その部屋にはまた暖炉と椅子と机、そしてまるでバーみたいになっているカウンターがあって、その奥にお酒のやボトルがたくさんありました。ガラス製と思われる物が多く、キラキラと光っているように見えてとても綺麗でした。そのカウンターのまた右手側に、テラスがあります。窓枠は木製で、白いペンキで塗装されていました。テラスには、いかにも奥様方の三時のお茶会用といった感じの、これまた白い机と椅子が。こんなところで紅茶を飲みながら昼下がりの読書でもしてみたいもんですね〜。

 さてお次は二階。階段を上がり、振り返ってみると何故かそこには鎧(甲冑?)が。雰囲気を出すための置物なんだとは思いますが、振り返っていきなり鎧があると少し心臓に悪かったです。怖い…。そしてその鎧を横目に、階段上がってすぐ左側にユニットバスがありました。トイレは普通の白い洋式トイレでした。やはりウォシュレットはついていなかったです(爆) お風呂は洋式のバスタブ…あの日本の立方体が壁に埋まっているようなやつではなく、ふちは丸くカーブになっているやつです。脚がついていて壁際に立っておりました。そして次の部屋へ行くとまたしてもバーみたいなカウンターが。そしてまた暖炉。暖炉とカウンターが多いところなんでしょうかねぇ、明治時代のイギリスは…。

 それから階段を下りて一階へ戻り、裏口から庭へ出ました。出るとすぐに、でっかい井戸のようなものがありました。何の説明も書いてなかったのであれが井戸なのかどうかわかりませんが…(汗) それから庭にはパラソルとその下にベンチがある、というのが両脇と中央の計三つありました。右の写真が庭の風景です。まばらに白いものがあるのは雪が降っていたからです。



洋館長屋(仏蘭西館) (旧ボシー邸・明治37年築)神戸市指定No.8伝統保存建造物

 英国館を見たあとは、親父と別れ一人で異人館をめぐることになります。次に入ったのは英国館の隣にある「洋館長屋(仏蘭西館)」でした。ここの店番(?)のおばちゃんがものすごく良い人で、とても詳しく説明してくれました。おばちゃん曰く、今はフランス風に飾ってあるけれど、ここは昔の外国人向けのアパートだったとのこと。この建物は左右対称の構造になっています。これは昔見た名探偵コナンの映画で知ったのですが、明治の頃、ヨーロッパでは左右対称の建築物が流行ったそうです。

 ここにはものすごく興味深い物がありました。それは……「花弁状ソファー」という変わった形をしたソファーです。そこに書いてあった説明によると、フランス・ロココ時代(十八世紀)の典型的な装飾様式で、貴族社会で使われていた伝統家具に多いらしいです。四枚の花弁のように背中を向け合って四人座れる椅子です。ですが、背中を向けていたら話をしにくいんじゃないだろうかと、これを見たときの僕はそんなことを思っていました(笑) それでもやっぱり、こういった風変わりなヨーロッパの貴族がいたという名残が少しでもあるとそれだけで僕は感動します。これを見た瞬間、ビビッときましたね(笑)

 それから二階へ上がると、なんと明治時代のルイ・ヴォトンのトランクがありました! トランクは大・中・小と三つありました。大きなトランクはハンガーなどもたくさん入るようで長旅をするときのために作られたようです。他にも旅の長さに合わせて中くらいや、小さいものも。何より驚いたのはこの時代のルイ・ヴィトンのトランクの模様なんですが、現在のルイ・ヴィトンのバッグと模様が同じなんです。 多少荒かったり汚れていたりしていましたが、模様は今のヴィトンと変わらず。すごいです。そこに感動しました。
 それから隣の部屋へ行くと、よく社長なんかが使ってそうな、でっかくて高級な机やタンス、本棚などの家具がありました。これがまた面白いんです。家具の形なんかは西洋の物なのに、その家具に彫られていたり、描かれている模様は日本の絵なんです。あの、のっぺら〜な日本人顔をした人が写っているのですよ。他にも模様では唐草などの模様が入っていたりと西洋の物に日本の絵が描かれているのがものすごく興味深かったです。
 そしてお次の部屋。……なんと…白熊の毛皮の絨毯が……!!!! 初めて見ました、本物のこういう絨毯。よくテレビとかで見るのは虎ですが、ここでは白熊でした。ちなみに、そっと触ってみました(本当は触れてはいけない(汗))………毛並みは意外と固かったです。
 その後、再び一階へ降りると今度はまた僕にとって興味深い物が目につきました。それは、「古典ピアノ」。現代の普通のピアノよりもずっと小さくて、しかもなんと、燭台付きです。説明によると、十九世紀初めにパリで制作され、43の鍵盤は今のピアノの約半分。燭台付きもというのも珍しいようです。ナポレオンの繁栄時代、フランスの近代音楽の発展に大いに寄与したとのことです。僕は元々、音楽に興味がありましたし、昔の古いギターやピアノなんかを見ると歓声を上げはじめます(笑) さすがにそのときは周りに人がいたのもありまして、声には出しませんでしたが心の中でお〜!お〜!と叫んでおりました(笑) そして外へ出ようと入口へ戻ると、なんと店番のおばちゃんが「あんた、傘持ってるん?」と言って、ビニール傘を僕にくれたのです。そのときは雪がものすごく降っていて、まさかここで傘をくれるとは思わなかった僕は、おばちゃんに本当に感謝しました。しかもおばちゃんは、傘だけでなく僕に飴を二つくれたのです。こんなに良くしてもらっていいんだろうかと思いながらも、ありがたく飴をいただくことにしました。飴の袋には日本語ではない言葉が書かれていて、外国の飴なんだろうかと思いながら飴を食べました。コーヒー味と紅茶味で美味しかったです。ありがとう、おばちゃん!!



ベンの家 (旧アリソン邸・明治35年築)神戸指定No.9伝統保存建造物

 さて、お次へ参りましょう。洋館長屋の隣にある「ベンの家」です。チケットを見せて門を入ると、すぐ左手側にドイツ壁があります。左がその写真です。
 イギリスの貴族であったベン・アリソン氏の時代は、仕事はお役人に任せておけば大丈夫だという、安定した時代だったそうです。そんな時代背景もあり、ベンは当時貴族のたしなみであった狩猟にうち込みます。ベンは世界中を旅した偉大なハンターだったと言われております。来日した際にはこの家へ住んでいたそうですが、ベンの冒険魂は衰えることはなく、日本に長く住むこともありませんでした。ベンはまた、旅立っていったのです。
 玄関から中へ入ると、まず廊下から大きな剥製がたくさん飾ってある部屋に入ります。そこにはなんと白いオオカミや、ものすごく大きな白クマ、それから大きな野鳥や鹿など数えきれないほどの剥製がありました。これらはすべてベンがハントしたものらしいです。

 その中でも僕が特に気に入ったのは白オオカミでした。オオカミといったら、灰色や茶色の毛並みが想像されてしまう僕の脳内では、白いオオカミというのは大変珍しいものだったのです。……というか剥製といえど生でオオカミ見るのなんて初めてでしたしね。そういう意味では白クマもコンドルも見るのなんて初めてだったのですが(それにコンドルはもう絶滅していますしね)、何故か強く印象に残ったのは白オオカミだったのです。

 そして、階段から二階へ上がりました。すると廊下にはでっかいムササビのような動物の毛皮の絨毯が…。人間で例えると、うつぶせになって大の字の形に寝転がったような姿です。それは絨毯でしたが、さすがに床に敷いてあったわけではなく壁に掛けてありました。ムササビのような動物の絨毯が二枚、仲良く並んでおりました……。そしてまた動物の周りには布をレースのようにした物が縫い付けられておりました。おそらく、でっかい布の上にぺちゃんこにした剥製を縫い付けたのだと思われます。ちなみに、これまた本当ならば触ってはいけないのですが……触ってみました。……洋館長屋にあった白クマの絨毯とは違い、毛並みはとても柔らかかったです。レース状になっている布もふこふこしていました。この上で寝て……みたくはないですね。動物の怨念が怖いです(汗)

 廊下を抜けて部屋に入ると、大きな虎の剥製がありました。……阪神タイガース。と瞬時にタイガースを連想させるような虎でした。ようするに黄色に黒の模様が入ったいかにもな虎柄をした虎です。毛並みの黄色が鮮やかでした。しかも牙とか尖ってて鋭そう。
 そこから奥の部屋に繋がっていて、奥の部屋に入るとガラス張りの棚の中にライオンやリンクスなど、ベンがアフリカでハントした獣達の剥製が飾られていました。左の写真はそのガラスの中にあるリンクスです。ライオンは何故かはわかりませんが、顔以外のところ……胴体などは皮だけで剥製となっておりました。まるでリュックになるぬいぐるみみたいでした。ぬいぐるみの背中にファスナーがついていて、その中は空洞になっており物を入れることができるあれです。勇ましいライオンもこうなってしまうと、笑ってしまいます(笑)
 ベンの家だけは、入口と出口が一緒ではありません。出口に向かうには二階から屋外にある階段を下りるのです。屋外の階段はまるで非常階段のような階段でした。階段を下りてドアを開けると、お土産屋さんに入ります。ここでお袋と妹の分のお土産を買いました。親父は英国館まで一緒に来たからなし(苦笑)。



うろこ美術館 (北野の名門美術館)

うろこの家 (旧ハリヤー邸・明治38年築)国指定登録文化財、兵庫県指定在宅百選の館


 オランダ坂というものすごく急な坂を登って、うろこの家に着きます。オランダ坂の途中には、本家オランダ館や香りの家オランダ館、ウィーンオーストリアの家などもあるのですが、ここは入場料金がうろこの家シリーズとは別になるのに加えて、なんと大人1000円もするので貧乏学生には入れるような余裕はありませんでした(泣)

 うろこの家という名称の由来についてまず説明をしたいと思います。この建物は外壁を飾る天然石のスレートが、魚のうろこのように見えるためにうろこの家という名称になったそうです。確かに魚のうろこそのままです(笑) 西洋の古城のようで、とても綺麗で趣があります。

 このうろこの家は、最初に公開された異人館だということです。元は外国人の高級借家として旧居留地に建築され、その後明治後期に現在地へ移築されたのです。

 チケットを見せて門を入ると、大きな庭園に出ます。すると芝生の中に、僕にはちょっと理解不能な物体…セクシーポーズをとったイノシシの象……がありました。何故そんなポーズなんですか……。これにはちょっと引いてしまいました(汗) それから階段を上がってうろこの家とうろこ美術館に行くのですが、その階段のちょっと手前に赤電話がありました。初めて赤い電話ボックスを見ました。まぁ中にある 公衆電話は、NTTの緑色の電話なのですが(笑) そして右上の写真が、本場ロンド ンで 望海さんが撮って来たという赤電話の写真です!

 うろこの家へ入って、廊下のすぐ右側に、1800年代のドイツ製の石炭ストーブがあります。この家に住んでいたドイツ人が使っていた物だそうです。それが左下の写真です。小さい頃にディズニーのアニメか何かで見たような小型ストーブに似ているなと、それが僕の感想でした。サイズは結構小さめで、高さは80センチもなかったと思います。でもこんなに小さかったら、あまり暖かくならないんじゃないかなぁと思いました。この家にたくさんある暖炉なんかの方が、ずっと暖かくなるんじゃないかなぁ。そんな暖かそうな暖炉が右の写真です。でもあれだけ暖炉があれば、ほとんどストーブは必要なかったのかもしれないとも考えられますね。

 廊下から左側の部屋に入ると、机や椅子があり、それから奥の部屋に行くとなんと蓄音機がありました。右がその写真です。レトロですね〜。やっぱり僕は音楽関係の物に反応してしまうのか、蓄音機をしみじみと見てきました。皆様ご存知かもしれませんが、蓄音機はレコードを乗せて、手でレバーのようなものをくるくると回すそうです。すると音楽が流れてくるということです。電気蓄音機はその、手で回す作業を電気がやってくれるそうです。レコードを知らない時代に生まれた自分にとっては新しい発見でした。これらは家に帰ってからお袋から聞き出しました(笑)

 階段を上がるところに、兵士の人形が二人、槍を携えて立っておりました。顔は不細工でしたが(笑)、鎧と槍がすごかったです。特に槍の長さは、天井に届くか届かないかというくらいに長かったのです。二階に行きますと、なんとソリがありました。前方には龍のような顔をした物があり、座席には豹柄のシートのような物っ!! なんとゴージャスな。でも何よりでっかいソリが廊下に入るこのうろこの家の広さが一番ゴージャスかもしれない…。
 色々と異人館を見てきましたが、うろこの家はさすが高級借家です。今まで見た中も一番広くて高級そうです。他のに比べて天井もずっと高いです。このうろこの家の感想は、他に見てまわった異人館よりもずっと豪華で大きくて、とにかくゴージャス!!だったのです(笑)

 次にうろこ美術館を見てきました。一応美術館なので、館内で写真を撮っていいのかどうなのかわからなかったので、写真は撮ってきませんでした。ですので左の写真はうろこ美術館の看板です。
 トロワイヨン、ビュッフュ、キスリングなど、数々の西洋名画のコレクションとロシアの現代絵画が展示されていました。ロシアの絵が多いなぁ〜というのをとても感じました。中でも気に入った絵は、「農村」というタイトルの絵で、たくさんのニワトリに餌を与えているところの絵なんです。それがとても綺麗だな〜と思いながら見ていました。
 あと、ここは美術館の展望台からの景色がとても良かったです。元々、ちょっと山の方にこのうろこ美術館が建っているのもありますが、それに加えて展望台は3階にあるんです。とても綺麗でしたが、雪が降っているような天気のため曇り空だったのが非常に残念でした。



山手八番館 (旧サンセン邸・明治後期築)


 うろこの家を出てすぐ隣が、山手八番館です。ここは館内に入ってからすぐ後ろを振り向くとなんと、入口のすぐ上のところに400年前からあるステンドグラスを見ることができるのです。これは洋館長屋で出会ったあのおばちゃんにここに来る事前に説明してもらっていたのです。ですので入口に入るとすぐさま僕は振り返りました。小さなステンドグラスが四つ、並んでいます。キラキラしたような輝きはないものの、阪神大震災をよく堪えられたなと思うと400年というのはものすごいものです。左がその写真です。デジカメではなくただのカメラ付き携帯であるのと、僕の写真を撮る腕前が悪いのと、しかもこれは階段の上から撮ったのです。う〜ん、あまりにヘボすぎてお見せするのが恥ずかしい(汗)

 ここはうろこの家とは全く違って館がどうこうではなく、館内には彫刻やブロンズ作品などがたくさんあります。これは西洋の物じゃないだろーと思うものがたくさんありました(笑) 日本や中国っぽい物もたくさんありましたが、アフリカのお面が壁全面に掛かってある部屋に入ったときはさすがにちょっとビビリました。あと印象に残っているものは、ガンダーラの像とか、中国の剣とかがあったことです。中国の剣は、昔日本の忍者が使っていた「くない」によく似ていました。

 そしてここにもありました。「花弁状ソファー」!。なんかコレ、僕のお気に入りです(笑) ここにある花弁状ソファーは洋館長屋にあったのとは花弁の数が違いますね。この花弁状ソファーは花弁が三枚です。ということは三人まで座れるようです。右がその写真です。

 もらったパンフレットによると、ここ山手八番館にはロダン、ブールデル、ベルナールの三大巨匠の傑作やルノアール晩年の希少なブロンズ作品などがありまして、他にもレンブラント、デューラー、ホーガースらの版画、ピカソに影響を与えたマコンデの彫刻もあるようです。見てきたのですがどの作品が誰のなのかは覚えていないのです(汗) しかもこの中で名前を知っているのってピカソとレンブラントくらい……(汗)



北野外国人倶楽部 (旧フリューガ邸・明治後期築)


 北野外国人倶楽部には、門を入ってすぐに、井戸があります。この井戸は横穴式井戸という珍しいものらしいです。説明によると、深さ2.5メートル、周囲3メートル四方の集水口があって、そこから西の山すそに向かって百数十メートルのトンネルが掘られています。生活水として使用された珍しい井戸だということです。左に写真を載せておりますが、この井戸は見た目がとても綺麗です。明治時代に作られたとは思えないほど綺麗です。それにデザインも良いですし、本当綺麗です。
 実は、この井戸を中心に、ここはちょっと洒落た公園といった感じの広場になっているのですが、僕が行ったそのときたまたま、おっちゃんが花壇の手入れをしていたのです。まるで教会の祭壇みたいなところもあったのですが、花壇が掘り返してあるのがどうしても写ってしまうため写真は撮ってきませんでした。それにおっちゃんも写ってしまう(苦笑)

 そこからちょっとだけ行ったところに、なんと馬車が置いてあります。1890年ごろにフランスで制作されたものです。折りたたみ式の二人乗りの馬車ですが、子供や荷物を乗せるスペースもあるということです。ブレーキは手動式のようです。平坦なただっ広い草原の景色を、こんな馬車に乗って眺めてみたいものです。もし欧州に行った際には馬車に乗ってみたいですね。馬車というのは今まで特に興味もなかったのですがこれを見ると、フランスの平原の中で馬車を走らせてみたいものです。

 それと、この北野外国人倶楽部の一番の見どころは、オールドキッチンです。明治頃の外国人が使っていたキッチンです。僕はこれを見たとき、魔女の宅急便のパン屋さんのでっかい台所をイメージしました(笑) でもそれくらいでしかあんなオーブンがあるキッチンを見たことがないんですよ。

 一枚で入りきらなかったので、右側からオールドキッチンの写真を並べてみました。これで全体を想像してみてください(汗) やっぱり携帯のカメラではここまでが限度です(汗)

 



旧中国領事館 (旧チン邸・明治後期築)


 異人館街の中でも、唯一の東洋系の異人館です。チケットを見せてアーチ型の門をくぐると、右手側に入口があります。それが左の写真です。写真の左側に咲いているのは桃の花と思われます。ちなみに、門から入って真っ直ぐ進むと、庭に出ます。庭は雪が降ったあとだったので水たまりが出来ていて、スニーカーに水が染み込んできました。冷たい!!(>_<)

 中へ入ると、まず襖のような「しきり」がありました。模様は中国風な花や鳥などの絵でした。そこにある机や椅子も、形や構造などがどこかしらエキゾチックな東洋っぽさをかもし出していました。それと異人館街に来てから、ここで初めて両開きのドアを見ました。あと、引き戸も。やはりこういうのを見ると落ち着きますね〜(笑) あと、暖炉なんかもあったのですが、今まで見てきた西洋風の異人館では暖炉は白いものや木の色をしたものが多かったのですが、この旧中国領事館の暖炉は石のような黒色をしておりました。ここらへんがやっぱり西洋と東洋の違いでしょうか。作りは同じ暖炉でも、これだけで結構違う雰囲気になります。

 たくさんの置物や、テーブルや椅子があった一階から二階へ階段を上ると、すぐにユニットバスを発見できます。ここのトイレがまたちょっと変わっているのです。西洋風の異人館では、真っ白な普通の洋式トイレだったのですが、この旧中国領事館のトイレは、洋式トイレではあるのですが便座や便座のふたが木製で茶色をしておりました。そして便器には青色で中国っぽい花の模様が描かれていました。その模様は、言うなれば中華飯店で出されるお茶のポットやお湯のみに描かれているような模様によく似ております。……トイレだけでこんなに語るとは思わなかった(汗)

 そして次に発見した変わっていた物は、ベッドでした。右に写真が載せてありますが、こんな形なんです。西洋風の異人館にあったベッドは、今日本で使われているベッドと大して変わりありませんでしたが、ここにあったベッドはこんな形をしておりました。長方形というよりも、どちらかというと正方形に近いような形です。これを見ると、十二国記(小説。著者:小野不由美)を思い出します。僕はアニメは見ておらず、しかも小説も途中で読みかけというなんとも中途半端なところなのですが(汗)、泰麒とかはこんなベッドで寝てそうだなぁと思いながらこれを見ておりました。しかし普通のベッドよりもこんなベッドで寝てみたいと思いました。こっちの方が寝返りを打っても広々としていて、あちこちに腕をぶつけたりすることがなさそうなので(笑)



旧パナマ領事館 (旧ヒルトン邸・明治後期築)神戸市指定No.11伝統保存建造物


 最後は旧パナマ領事館です。緑色の外壁に隣接した階段を上ると、門が見えてきます。それから門を抜けてチケットを見せると広大な庭に出ます。ここは敷地全体が広く、庭もとても広いのです。おそらく、今まで見た異人館の中でうろこの家の次に広いのではないかと思われます。左が庭から撮った旧パナマ領事館の建物です。入口の隣にはテラスもあって、とても広々としていて良い感じでした。

 館内には、やはりパナマならではといったところか、数多くの船の模型がありました。パナマも日本同様、海に囲まれているためか、船に関する資料や数多くの本がありました。もちろん、僕にはまったくの意味不明言語だったのですが(苦笑)それにしても、こうやって見ると模型って格好良いです。僕はプラモデルとか模型とか、あまり組み立てたことはないのですが、そういう物を鑑賞するのは結構好きなんです(笑) 特に気に入ったのは、甲板が赤色をした船の模型でした。あまり大きな船ではないようでしたが、どこかたくましい船でした(どんな船だ……)ここでは、しっかりと船の模型を見てきました。

 それからここには、変わったキャビネットがありました。中には杯のような置物が。キャビネットは木製で、扉の部分がガラス張りなので中を見ることができます。このキャビネットの一番すごいところはガラスを縁取っている木の部分に、模様が彫ってあったことです。しかもその模様は太陽の光に当たるとキラキラと反射して虹色に輝いておりました。

文責:

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送