佐倉順天堂記念館

 とにかく写真をたくさん撮ってきました。

 上はいずれも記念館のすぐ側にある公園に建っている記念碑です。右が順天堂の創始者である佐藤泰然の顕彰碑、左が3代目である佐藤舜海の頌徳碑と真中がその裏面です。近くの看板によると、いずれも篆額は堀田正倫(最後の佐倉藩主)のもの、右は3代目佐藤舜海が明治23年に建てたもの、左は3代目佐藤舜海の60歳を祝って弟子が建てたものだそうです。裏面(真中の写真)には、そのときこれを建てた弟子の名前が多く刻まれています。少し前に元の場所から何十メートルか位置をずらしたそうです。

 左は順天堂記念館の門(平成13年に再建されたもの)、右は順天堂の昔の黒門の礎石です。ただの石にしか見えませんが、なんと順天堂が出来た安政5年からつい最近の平成13年までこの石が門を支えていたそうで、驚くばかりです。古い門も見てみたかった気がします。

 左が順天堂の創始者、佐藤泰然の銅像、左は佐藤泰然の養子で順天堂の2代目、佐藤尚中(山口舜海。私は佐藤舜海って言っちゃうんですが……)のレリーフです。

 左の写真のレリーフは、左が佐藤志津、右が佐藤進です。二人は結婚してます。これ以上は家系のつながりが私には複雑すぎてうまく説明できません(汗)。佐藤志津は女子美術学校の校長をしています。それにしてもこのレリーフだとあまり女性らしく見えませんね……。

 右の写真のレリーフは左が佐藤泰然の五男林董、右が同じく次男松本良順です。林董は、日英同盟を結び、その後外務大臣を勤めています。私の大好きな(笑)松本良順は、このサイトのあちこちに見られるように新選組とのかかわりがとても深かった人で、幕府の医学所頭取を務めています。

 この佐藤泰然一家、だれもかれも立派な人ばかりなんですよね。当時の知識人同士でのつながりというのもあるのでしょうが、それにしても驚きます。

 写真は以上です。順天堂記念館では、昔の手術道具や古写真など、面白いものをたくさん見ることができました。一番面白かったのは松本良順の書。はい、ミーハーですみません(汗)。

 順天堂についてはこちらをご覧下さい。画像ですので多少読みにくいです。すみません。司馬遼太郎の『胡蝶の夢』には、順天堂や、ここに関係のある人達が多く出てきます。私はこれを読んで記念館まで足をのばしてみようと思ったわけですが、順天堂や順天堂の人々についてもう少し知りたいのであれば、これは手軽でお勧めです。

 佐倉順天堂記念館は、入館料が安く(一般100円、学生50円ですからあってないようなものですね)、結構見るものも多く、ついでに受付のおばちゃんも親切だったので(笑)私としてはかなり満足できました。これで都心と駅からあんなに離れていなかったら言うこと無しなのですが(汗)。住所は千葉県佐倉市海隣時町97。開館時間は午前9時から午後5時、休館日は毎週月曜と年末年始です(2004年4月現在)。最寄り駅はJR佐倉駅ですが、駅から離れているので(30分はかからなかったと思いますが……)、きちんと道を調べて、結構歩く気で行ったほうが無難です。

 

訪問日:2004年4月23日

文責:望海

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