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こちらも上の写真のほかにお墓の横にあった看板があります。かなり重いです。こちらも戻るときはブラウザの戻るボタンで戻ってください。いちおう以下のようなことが書いてあります。
土方歳三 土方歳三義豊は、天保六年(一八三五年)、土方義諄の四男として生まれた。青年時代は家業(農業、薬の製造・販売)を手伝いながら近藤周助について天然理心流を学び、近藤勇・沖田総司らと知り合った。 五月一一日没、三五歳。法号 歳進院殿誠山義豊大居士 日野市教育委員会 |
石田寺にある土方歳三の墓と高幡不動(高幡不動尊・高幡山金剛寺)に行ってきました。近藤勇の墓に行ったのと同じ日に行ったので、あまり時間がなく高幡不動のほうはじっくり見られませんでした。住所は石田寺が東京都日野市石田145、高幡不動が東京都日野市高幡733です。
近藤勇の墓と同様かそれ以上に、周りには土方という苗字の家が多かったです。お墓は最近親族の方が立て直されたそうです。
高幡不動にはかなり大きい土方歳三像があります。門を入ってすぐのところでかなり目立ちます。完成はたしか1995年、まだ新しいものです。あまり写真には似ていない気もします。新選組両雄の碑のほうは、会津藩主松平容保が題字を、幕府の奥御医師松本良順(明治以後は松本順)が本文を書いて、明治21年に完成したそうです。当時は維新からそれほどたっておらず、新選組は反逆者ですからこれにしろ板橋の慰霊碑にしろ、立てるにはかなりの苦労があったようです。
訪問日:2003年8月
文責:望海
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